ちょっとだけ、あきらめない。|人事担当が向きあう“両立”という選択 vol.1

がんばっている大人が前に進めなくなってしまったとき、自分の人生を生きるためのヒントが世の中にちらばっていることに気づけたら──。

私は2017年1月、社内で初めて産休育休を取得しました。子どもの保育園が決まり、今年4月から職場復帰。人事を担当しています。

休暇に入る前、私は気合が入っていました。人事の私が育休取得のモデルケースとなりたい。そのためにも、自分の成長を視野に入れよう。これを機に“積ん読”を消化して、なんなら資格取得も……!

なんて、育休を言葉どおり“休暇”と捉えていたんです。

 

実際は……授乳→おむつ替え→授乳→おむつ替えの無限ループ。赤んぼが寝ているときは自分も寝ておく時間。そのまま気づくと出産から半年が経過。大好きな読書さえまともにできていませんでした。

赤んぼはひたすらかわいくて、一緒に過ごす時間がただただ幸せで……のはずなのに、ふとよぎる「なんか違う」という思い。
── あれ? 思い描いていた休暇と違うんだけど。
── 赤んぼって一日の大半を寝て過ごすんじゃないの?

 

これから先のことを考えるたびに、隣にはいつも不安。

・保育園に入れる保証がない不確実性
・復帰後、自分は必要とされるのかという焦り
・お母さんは常に笑顔で子どもに接するべきというプレッシャー

中でも「復帰後に会社で活躍するために、育休中も勉強したい」焦りと「お母さんは笑顔であるべき」というプレッシャーは相性が悪く、時には赤んぼより大きな声で泣くこともありました。

 

赤んぼが7ヶ月になった9月、私は子どもと一緒に社員合宿に参加しました。その前に社内に向けて書いた文章です。

育児に専念すればいいのでしょうが、仕事に復帰することを考えると、完全に仕事を離れてしまうことは不安で、少しずつ業務に関わらせてもらっています。

外から見ていると、社内の動きはとても速く感じます。その流れに戻れるのか、置いていかれているのではないか、と今まで感じたことのない不安。

同時に、「子どもが昼寝をしてくれたら勉強の時間が取れるのに」と、どこか育児に100%専念できないことへの罪悪感。
そんな感情に挟まれて、気持ちの持っていきようがなくなることがあります。

合宿ではみんなに迷惑をかけ、気を遣わせてしまうこと。言葉で気持ちを伝えることができない子どもにとって、大人中心の旅行は負担でしかないこと。どちらも分かりつつも心を保ちたくて、ワガママかもしれませんがどうしても参加させていただきたいと思いました。

家族からはどうしても参加しなければならないのかと何度も問われ、たくさんのひとを犠牲にする決断は私のわがままなの? と涙しながらこの文章を打ったことを思い出します。

 

 

 

今は「保育園に入れる保証がない不確実性」が解消されて仕事に復帰でき、先の見えない不安がない分、この頃よりずっと穏やかな気持ちです。

とはいえ不安が全部なくなるわけじゃなく、「復帰後、自分は必要とされるのかという焦り」はこの瞬間も感じます。

一年以上にわたって一日の大半を赤んぼと過ごしていたから、思考に言葉が追いつかない。職場の変化も身に沁みる。だからこそ意識的に発言し、自ら身体を動かす日々を送っています。

「お母さんは笑顔で子どもに接するべきというプレッシャー」から解放される日はこないのではないかと感じます。それでも、Instagramやブログといった手軽な媒体で情報を追っていると、同じようなモヤモヤを感じたひとの「ママが笑顔でいられるような環境を整えましょう、と言いかえてみては?」という言葉に、心がやわらぐこともありました。

 

これからも、きっといっぱい泣くと思います。

それでも不安で自分を見失ってしまいそうなときこそ、ちょっとだけあきらめないでアンテナを張っていれば、同じような経験をしたひとの叫びや知恵をかき集めることができる。自分からアクションをおこせば、小さな糸口は見つけられるのかもしれない、そう気づくことができました。

 

次回からは、私がもがく中で出会ったヒントを『あのときの背表紙』として紹介していきます。

 

文・イラスト/みき
編集/菊池百合子

2018-07-14 | Posted in ColumnComments Closed 

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