違う景色に気づけることが、勉強のおもしろさ|歌舞伎町ブックセンター・手塚マキさん × 勉強カフェ・山村宙史

「学び」をこんなにも美しく語るひとがいる。

「音楽でもマンガも、その辺の風景でも、恋愛相手と、感じ方が同じだったり、違ったりしていいんです。同じものを共有しているのに、「これってこうだよね?」と伝えたとき、相手と感じ方が違うと、最初はびっくりする。

でも、別の視点が自分の中に入り込み、“自分の感情が広がる感じ”がしてくるんです」

「人が悲しいときに、100通りの悲しみを想像できる。人が嬉しいときに、100通りの嬉しさを共有できる。音楽や映画を通してそういうのを学ぶ」

手塚マキ

この言葉の主は、手塚マキさん。

若くして歌舞伎町に入り、たくさんのひとと出会いながら多様な価値観にふれてきたマキさんが語る教養。学び続ける背景には「自分の感情を広げること」を大切にしたいという思いがあった。

 

対して、大人が思い切り勉強できる場所として今年で10周年を迎える「勉強カフェ」創業者の山村宙史は、勉強における「生産性を重視」すべきだと考えてきた。これから人生100年時代を生きていく大人には「成果につながる勉強」が求められる、と発信している。

たしかに「資格取得」や「転職」のように、早く結果を出すための勉強が求められる場面は少なくない。むしろこちらのほうが目に見える成果を出しやすく、マキさんが語るような「感情が広がる」学びは敬遠されがちとも言える。

どうやら、この二人の「学び」への考え方は対照的のようだ。

 

一方で、マキさんが立ち上げた本屋「歌舞伎町ブックセンター」、山村の勉強カフェ、それぞれが語る「場」への思いには通じるものがある。

「本屋じゃなくても飲み屋とか歓楽街へ行くひとって、彼氏に振られたからとか結婚前だからとか、なにかと恋とか愛にまつわる事で飲みに行くと思う。

悩んでいようがなかろうが、愛や恋を言い訳にして飲みに行く。来てほしいというよりも、選択肢にあればいい。そこが本屋であっても」

「僕も昔会員さまに対して、「勉強しにこないんでいいですよ」とよく言っていたものです」

「本」「勉強」を掲げる空間を運営し、その空間に対して重なる思いを持ちながらも、「学び」への考え方が大きく異なる二人。

ひとはなぜ、学ぶのか。何を、どう学ぶのか。

「学び」の事業を続けてきた山村が聞き手となり、「学び」をまっすぐに見つめ続けてきたマキさんに、この問いを投げかけた。

生きていくためには、役に立つ「知識」も必要

2017年にオープンした「歌舞伎町ブックセンター」。「LOVE」をテーマに掲げた書籍が並び、土日はホストが書店員として店頭に立つ。数々のメディアに取り上げられて話題になっている歌舞伎町初の書店の仕掛け人が、手塚マキさんだ。

ホストクラブを経営する上で従業員の教育に力を入れてきたマキさんは、以前からホストたちに読書を推奨してきた。「歌舞伎町ブックセンター」の立ち上げも、従業員が自然と本に手を伸ばせるような場所をつくりたいという思いが根底にある。


山村 「歌舞伎町ブックセンター」は去年はじめられたんですよね。

マキ あの場所ではみんな本のことをインテリアだと思っていますけどね。「あ、これ買えるんですか?」って言うくらいに飲み屋として使われていて、従業員にとっても本屋って感覚ではない。

でも、それでいいと思っています。そこに本があったんだ、って3年後に気づいてくれればいい。僕が従業員に「本を読め」って言ったところで、素直に聞かないのは分かっているので。

例えば歌舞伎町ブックセンターのニュースを見て地元の友だちが連絡をくれたことがきっかけで、「あ、俺は本屋の会社で働いているんだ」って認識がちょっとでも出てきてくれたら変わるかなって。

山村 オープンから一年ほど営業してみていかがですか?

マキ まあ今のところそんな認識は全くないですね。ただ本屋にたまっているスタッフは増えてきています。おそらく本の背表紙も目に入っている。「あ、そういえばあそこにあの本あったな」って思うような。それでいいんです。


読書をテーマに掲げながらも、そこに集うひとに本を押し付けようとはしないマキさんのスタンス。どこかで諦観しながらも、自ら意欲的に学び続け、そして従業員にも学びを推奨する。そんなマキさんの学びを支える原点はどこにあるのだろうか。

マキ 歌舞伎町でずっと働いてきて、たくさんのスタッフを見てきました。さまざまな家庭環境で生きてきたひとに出会って、そういう従業員を教育する立場になった。

そのとき、「今はどういう時代で、君たちが生きているのはこういう社会で、社会っていうフレームを外したとしても、これはひととして正しいことだよ」って自信を持って言えるようになりたいと思ったんですよね。それが学びはじめたきっかけです。

この時代に生まれて東京で仕事をしている以上、資本主義のこと、経済がどう動いているのか、最低限は分かっておいたほうがいい。ここが東京なのかアフリカなのかわからなくてアフリカのルールで生きようとしたら、やっぱり怪我をしますから。

「常識」として言ってしまうとそれは僕の価値観の押し付けになるけれど、「こっちかこっちだったら、こっちのほうがいいよね」っていうベターな道はあるはずなんです。その判断のベースになる「当たり前」をちゃんと従業員に教えたいなって思うし、僕も知りたい。

そこから先、この世界でどう生きていくかは本人が決めること。だからベース以上のことは教えられないけれど、それでも「こういう生き方もあるんじゃない」って一つの価値観を提示できる自分でありたいとは思います。

矛盾を内包しながら生きていく

この時代に生まれてサバイブしていくために身に付ける「知識」の先にマキさんが見据えるのは、まさに「どう生きていくか」を自分で考えて選べるようになる力──「教養」と呼ばれるものではないだろうか。

マキさんは「経営者として、何でこんな非効率なことやっているんだろうって思うこともあります」と発言しながらも、「僕らは効率なんてものの上では生きていない」「より無駄なこと、心の機微が揺れ動くような時間が大切だと思う」と語り続けてきた。

この社会で生きていくための必要な「知識」と、生きていくために必須ではない「教養」。資本主義のシステムの中で会社を経営することと、読書やアートで感性を磨いて心の機微にふれること。

“役に立つ”前者と、“役に立たない”後者。一見矛盾をはらむ両者を抱えているように見えるマキさんは、このアンビバレントにどう向き合っているのだろう。


山村 僕が興味があることとして、勉強でもっとパフォーマンスを出すための運動を考えているんですよ。もともと僕が全く興味がなかった筋トレに興味を持ち始めたことで、勉強の間に運動を挟んでまた勉強したら疲れもとれるし集中力が増すことに気づいて。

マキ いいですね。そう言われると僕は真逆かもしれない。学びが成果につながらないほどいいなって思っている僕がどこかにいますね。一個人として生きていくことを考えるなら、もっと根源的に人間である喜びとか幸せっていうものはどこにあるのかを模索することに興味があります。

山村さんがおっしゃっていることって、経済の枠から外れずに、より効率を目指すこと。たまたま今この時代に生まれたから身に付けなければならない能力ですよね。原始時代に泳げて狩りができる人間が生き残れたのと一緒。

僕はそういう経済とはかけ離れたところで物事を考えていくほうが、喜びが大きいです。仕事につながるよりももっと根本的に、生きていく上で抱えている重石がちょっとでも軽くなればいいな、と思っているんです。

 

マキ 例えば最近、ボディサスペンション*1っていうものに興味があるんです。こういうのって意味がない、明日からの仕事に役立たないからこそ、「自分の肉体って何なのか」「この身体は誰のものなのか」を考えさせられる。歴史の長い流れの中で評価されているもの、考えられてきたものに惹きつけられます。
*1 ボディサスペンション…自らの身体にフックを刺して吊り上げる「身体改造」の一種。

山村 それでも資本主義の枠の中で会社を動かすわけじゃないですか。さっきおっしゃっていた「経済とはかけ離れたところ」、効率とは逆の方向性に会社を寄せる、っていう考えはないんですか?

マキ ないですね。全くない。ビジネスをしている以上は、より効率よく、より成果を出すことを共通認識として持っていたいし、やらざるを得ないと思っています。僕たちはこの社会で生きていることを受け入れなければいけないし、会社を経営している以上はそのレースをやる責任がある。その矛盾を抱えながら生きていくのが自分だと思っています。

資本主義のことを否定するつもりはないんです。むしろ、みんなもっと資本主義を楽しめばいいんじゃないかと思っていますよ。矛盾がありながらも、東京の資本主義の中でひとが交わっている今だから生まれるカルチャーも、ファッションも、スポーツだって好きなんですよね。ゲームのルールを理解した上で遊ぶカジノみたいなものじゃないかって。飽きたらそのゲームから降りればいい。しがみつく必要なんてないんです。

自ら問いを立てる力をつけるための学び

効率重視の資本主義の中で矛盾を感じながら、それでも「人生は無駄こそ全て」と教養を大切にしてきたマキさん。

「教養って結局のところ、感情の細かいところから荒いところまで、大雑把な感動から、誰も気づかない小さな感動まで、誰かと一緒に何かを感じ取れる幅を広げることだと思う」

成果につながらないと知りながら、ホストたちに「感性を鍛えよう」と伝えてきたマキさん自身は、なぜ学び続けるのだろうか。


山村 マキさんは「教養の強要」と称して、ホストのみなさんに教養を推奨されているんですよね。教養についてはどう思われていますか?

教養は決して知識だけではない。

しかし人に与えられる人になる為には、自分で感じて終了ではいけない。与える為には知識も必要不可欠。

30歳過ぎて、いくらお金持ちになっても、焼肉とゴルフにしか興味がなかったら誰も振り向きません。

我々は幅広い教養を身に着ける。

(マキさんが新入りホストに配っている「ホストの心得」の一部、『教養の強要』から抜粋)

マキ 教養って身に付けるのがすごく大変なものだと思うんです。本を1時間読むのもストレス。テレビのチャンネルをかちゃかちゃ変えて、SNSで流れていくタイムラインをぼーっと眺め続けているほうが楽。本を読むならぼーっとしているわけにはいかない、考えながら自分の言葉で咀嚼して読むわけじゃないですか。本は好き。でもやっぱり疲れます。

しかも単純に「この本を読めば教養が身に付く」っていうものじゃなくて、「教養を身に付けるには忍耐と修練が必要」ってまさにそのとおりだと思っています。大変だし、「わー、勉強楽しい!」ってならないじゃないですか。

山村 そうですよね、教養を身に付けることに「ここまでいったらおしまい」なんてものではない。

マキ でも僕は、ゴールがあるわけではないけれど、経験値にはなっていくと思っているんです。一つ知ることで、景色が変わる。例えば水について真剣に考えて勉強してから飲む水って全然違うものになるはずなんです。

一つ知ったことですごく狭かった視界がこんなに広がったり、昨日まで青く見えていたものが「青だと思っていたけれど赤かったんだ」って視点が変わったりする瞬間におもしろみを感じます。

山村 そうやって勉強するようになるきっかけ、水を「これなんで透明なんだろう」って立ち止まるきっかけが今は身の回りにあまりないんでしょうね。

マキ そうですね。だから問いを立てられない。仕事をしていてよく思うのが、問題をもっとちゃんと考えようよって。

マキ 例えば僕はサッカーが好きなのでワールドカップをずっと見て楽しんでいたわけですよ。でも最後の試合でプッシー・ライオット*2 が乱入したじゃないですか。最初は「なんでこんないいタイミングで入ってくるんだ」って思ったわけですよ。

そこから自分なりに調べてみて、「サッカーなんてやっている場合じゃない」って怒る意見を知り、ロシアで排除されているひとたちが苦しんでいることを考えた。でもその感覚が僕にはわからない。彼らのように資本主義に背を向ける気もないし、そんなことよりサッカーしていいじゃん、とも言えません。

ただ、なんで彼らがそういうことをしたんだろう、逆に、資本主義の中でサッカーを通じてお金もうけしているひとたちは何を思うんだろう、って両方の側面を眺められるようになった。そこに意見を持つ必要はなく、ただ知ることが大切な気がします。

*2 プッシー・ライオット…ロシアの反政権派団体。プーチン大統領に抗議する活動で知られ、2018年FIFAワールドカップの決勝戦では旧式のロシア警察のユニフォームに身を包んでフィールドに乱入。この騒動で試合は1分間中断した。

山村 今すぐ役に立つとか、そういうことじゃないんですね。

マキ 全く役に立たなくていいんです。そうやって両方を知ることで、いつかどこかのタイミングで、自分に対して問いを持てるようになると思うんですよ。「なんで僕こんなことをやっているんだろう」って。

受けてきた教育に基づいて「こういうものだ」って思い込んで生きてきた僕たちが、常識と言われるものに対して疑問を持てるようになったり、自分が抱いた違和感をごまかさずに考えられるようになったりする。そうやって問いを持てること、問いから今まで見ていたものとは違う景色に気づけることが、大人になって勉強する価値だと思っています。

対談を終えて

二人は互いに、意見が違うことをそのままに受け入れていた。これこそまさに、ほとばしる学びの時間だった。

一つだけ、二人の意見が大いに一致していた部分がある。それが「年齢」に対する考え方だ。

「今日より明日の方が、知っていることが増える。だったら早く歳をとったほうが楽しい」

「歳をとればとるほど楽しい。毎年、歳を追うごとに楽しい」

マキさん、山村がそれぞれそう言い切っていた「歳をとる楽しさ」。

今はまだ年齢を重ねることを楽しめていなかったとしても、「歳をとる楽しさ」という自分がまだ見ぬ景色を語る言葉を、まずは知っておくこと。

それが、いつかどこかのタイミングで自分に問いかけるヒントになるのだろう。

歳をとった分だけ、自分に対する問いを持てているか? と。

 

■ 引用・参照
100通りの悲しみを想像し、100通りの嬉しさを共有する。恋愛を諦める前に考えたいこと 【カリスマホストの裏読書術 #7】平野啓一郎 『マチネの終わりに』
「ホスト書店員」、それが通用するのが歌舞伎町。
「男は見た目が9割。だから30歳まで老いが怖かった…」 歌舞伎町ホストが語る、“外見の劣化”問題【カリスマホストの裏読書術 #3】 川端康成『眠れる美女』
カリスマホスト・手塚マキが語る“愛あるビジネス” 歌舞伎町ブックセンターで愛を語らおう

【後編】フォースプレイス(第四の場所) | The Learning Port

 

手塚マキ(てづか・まき)
大学を中退してホストになり、入店後1ヶ月でトップの座に。26歳で歌舞伎町のホストクラブの経営者になり、現在は他にバー、飲食店などの十数軒を運営するSmappa!Group会長を務める他、歌舞伎町振興組合の一員として街づくりにも積極的に携わる。2017年には歌舞伎町初の書店となる「歌舞伎町ブックセンター」をオープン。ソムリエ資格取得を支援したり、「夜鳥の会」を立ち上げてホストたちと一緒に歌舞伎町の街頭清掃活動を続けたりと、従業員教育に力を入れている。著書『自分をあきらめるにはまだ早い』

 

山村宙史(やまむら・ひろし)
株式会社ブックマークス代表取締役。北海道函館市生まれ。2008年に起業し、「学びを通じて幸せになる大人を増やす」というミッションの下、大人が思いきり勉強できる会員制のコミュニティ「勉強カフェ」を開業。現在全国に25店舗を展開し、自分の人生を生きるための「勉強」を広めている。

 

文・写真/菊池百合子
編集/佐藤芽生・堀川美紀
一部写真提供/歌舞伎町ブックセンター

2018-08-28 | Posted in SpecialComments Closed 

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