呪いを解くきっかけは、授乳中のネットサーフィン|人事担当が向きあう“両立”という選択 vol.2

呪いを解くきっかけは、授乳中のネットサーフィン

自分で思い描いた「理想の姿」が自分への“呪い”になる。そんな経験はありませんか?

 

ひとり暮らしを始めたら意外にも、家事と仕事の両立ができた。だから、「仕事をしながらていねいに生きる」、自分にはそれができるんだって思っていました。きっと子どもが生まれたら、いつもニコニコ一緒に遊ぶ……そんな毎日が待ってるって。

いざ子どもが産まれてみると、3時間おきの授乳。やっと寝ついてベッドにおくとまた泣き出す。するとまた次の授乳時間。「あぁ、今回も寝られなかった」、そんな日々が続きました。

唯一、自分のために使える授乳時間。とはいえ眠ることはできないので、スマホを見たり本を読んだり。すると、その姿を見た母から「スマホばかり見ているお母さんの顔を、赤んぼは見ているよ」と言われる。自治体が発行する冊子やネットの情報に並ぶのは、「授乳中は電子機器を消してリラックス」「赤ちゃんの目を見て」の言葉。

スマホで見ているのは、ほとんどが育児に関する調べ物なのに……。「仕方ないでしょ!」「目なんて合わないよ!」と感情的になりました。

でも、心は罪悪感でいっぱい。だって赤んぼを抱いて幸せそうに微笑んでいるお母さんって、理想的じゃないですか!自分もぜったいにそうなるって思っていたし。

寝不足にそんな罪悪感が重なり、だんだん険しい顔になることが増えてきました。

するとこんどは「そんな顔をしていたら赤んぼがかわいそう」と言われ、「赤んぼにとっていちばんうれしいのはママの笑顔」という文章が目につくように。

「いつも笑顔のお母さんでいたい」と望んでいて、それができず傷ついているのは誰よりも自分自身なのに。

 

そんなころ、「ママはいつも笑顔でいましょう」を「ママが笑顔でいられるように環境を整えましょう、と言いかえてみては?」と書いてあるサイトを見つけました。

理想どおりにならないジレンマの中で自分に向けられる「いつも笑顔で」という言葉。罪悪感もイライラも、自分の問題として解決するしかない気がしていたけれど、環境を整える協力を周囲に仰ぐことはできる。「私のほしいサポートはこれだったんだ」と気づきました。

自分が望むことができないのは、自分自身がだれよりも悲しい。欲しいのはアドバイスではなく話を聞いてくれること。そう伝えたことで、周囲と建設的な話ができるようになりました。サイトの言葉はジレンマから一歩抜け出すきっかけになったんです。

テーブルの上は目線が合ってちょうどよい。ただし、這うまでは……

育児だけでなく、転職、結婚、介護など、新しい環境に身を置いて試行錯誤する中で、きりがないほどの多様な価値観に触れます。それらは全て誰かにとっての正解で、みんなよかれと思って誰かに伝えるのでしょう。

でも、主語を「男性」「求職者」「お母さん」のように一括りにすることで、すべてを一人の「私」が体現しなければいけないような気がしてしまう。もし本当にそんなことができたら、それはもう人間の域を越えちゃっているんじゃないかなって。

本当は、大切にしたいことや琴線に触れることだけを選び取ればいい。でも、その判断ができないほど、自分の選択が悪い結果をもたらさないかと必死なときもある。だからどの選択も捨てきれずに、キャパを超えた理想像ができてしまう。それが、自分にかけてしまう“呪い”の正体なのかなと思います。

きっと、自分でかけた“呪い”は自分でしか解くことができないのでしょう。そのきっかけは、自分の心の声に耳を傾ける大切さに気づかせてくれる存在。それが私の場合は「あなたはどうしたら笑顔でいられるの?」という、授乳中のネットサーフィンで見つけた言葉でした。

 

《あのときの背表紙》

なんのために頑張ってるんだっけ?
「手抜きOK!」それが本当に頑張らないってこと?
わたし一人が頑張っているの?
だから、自分たちにあった正解を模索したい。

本当の頑張らない育児

『本当の頑張らない育児』 やまもとりえ

私が読んでいたサイトはこちら(本編はここからも読めます)

 

文・イラスト/みき
編集/菊池百合子・佐藤芽生

2018-08-19 | Posted in ColumnComments Closed 

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